2013年6月議会 反対討論(補正予算)

 

議案第64号 平成25年度宝塚市一般会計補正予算(第2号)に対して反対討論を行います。

施政方針では、夢に向かって躍動するまち、持続的に発展するまちなどを掲げられ、市の活力が失われていく現状、人口減少社会への対応、公共施設等の更新問題などが課題であるとしています。

この課題認識に対しては間違っているとは思いませんが、求められるのは、その課題をどのように乗り切っていくかであります。

税収が減少し、社会保障関係費など、扶助費が伸びていく中で、待機児童ゼロ、予防保全、新ごみ処理施設建設基金の創設、NTNおよびガーデンフィールズの跡地買取を施政方針で表明されました。

これらは誰が見ても厳しい船出であり、それを選んだのは他の誰でもなく市長自身であります。

この厳しい船出を選んだ本人でもあり、リーダーでもある市長にそれを乗り切る方策や覚悟が無ければ、大きな目標は達成できません。市民の税金を使った結果が、単に「未来へのツケ」を生み出しただけとなってしまうことは避けねばなりません。

 

課題に対する方策や覚悟を見ていきますと、

 

まず、NTN跡地の取得についてですが、

これは、活力が失われていく中で、それらを取り戻すための起爆剤として、20億円もの税金を投入する事業です。

つまり、この事業は20億円を投資するに相応しい賑わいのある土地利用を行い、この事業をきっかけに本市全体に活力が及ぶようなものでなければなりません。

しかし現在の状況は、全9haのうち4haのみの構想しかせず、残りの5haの土地利用については市が関与できる度合いは少ないといえます。

また、4haの土地活用においても水道局庁舎や駐車場など、単に市役所が大きくなるだけとの印象はぬぐえず、約1.7haの使途はいまだ決まっていません。

つまり、NTN跡地の土地利用において現時点で決まっていることは「市役所の拡大」でしかなく、「本市の発展に寄与する」どころか「賑わいのある土地利用」ですらありません。

そのことを予算委員会の総括質問で指摘しましたが、「民間開発による乱開発等を一定食い止めると言う成果がある」といった趣旨の答弁がありました。

しかし、そもそもそれが土地取得の主目的ではなく、20億円の投資に相応しい成果とはいえません。

また、仮にそれが大きな成果だとしても、自らが構想を策定する4ha分だけであり、残りの5haは市が恐れる民間による乱開発が行われる可能性は否定できません。

それ以上に問題なのは、すでに目的が「賑わいのある土地利用」と「本市の発展への寄与」から「乱開発を食い止めること」へと引き下げられていること、すりかえられようとしていることにあります。

賑わいのある土地利用と乱開発を食い止めることとでは、その妥当性を議論する場合の視点が異なります。これらをすり替えてしまうのは、目的が明確にできていないことが原因であると言え、これからの厳しい現状を乗り切る方策も覚悟も無い証と言えます。よってこの様な姿勢は容認することが出来ません。

 

次に公共施設等整備保全基金についてですが、

公共施設の更新問題は財政の持続可能性を危うくするものであることは、既に周知の事実です。市は本年3月に公共施設白書を作成し、40年間で約1500億円を必要としています。

この莫大な金額を如何に抑制していくかが課題の一つであります。そのため、床面積の削減は避けられませんが、NTN跡地利用などで新たな施設建設があること、床面積の約6割が学校と市営住宅であることを考えると、簡単なことではありません。実際それに取り組もうとした多摩市では、住民との合意を図り、3年後には既存施設の取り壊しを行ったものの、その間に新たに建てられた施設によって、結果的に床面積の削減を達成できなかったと担当者から聞いています。

また、白書では、現在の投資額は必要額の4割程度でしかないと試算されており、床面積を仮に3割削減できたとしても、残りの3割分の費用が足りない状況となります。

つまり、現在の状況では、基金を積み立てておくことが、公共施設の更新問題にとって、今できる最も有効な手段であるといえます。

しかし、25年度末には10億円程度の残高となり、毎年3.7億円ほど取り崩している状況下では、積み立てるどころか数年で枯渇することになります。

新ごみ処理施設の基金はいわゆる4分の1ルールを適用して、積み立てる予定ですが、この基金に関しては増やしていく手段はないようです。

これでは持続的な発展どころか存在自体も危うくなります。

 

さらに、政策アドバイザーについてですが、

政策アドバイザーを任命する分野として、産業振興と市民協働が挙げられています。一方で、その分野には今回、産業活力創造会議や協働のまちづくり促進委員会が常設される議案が提出されています。

これら会議は諮問機関、政策アドバイザーは担当課などへの直接的なアドバイスと役割を分けているとの答弁がありました。

例えば、産業活力創造会議には、学識経験者のほか商工サービス業や観光業の関係者などが構成員となる予定です。このような構成であるからには、計画も実行も担うことを目指した会議とするべきで、本来、実践者であるべき関係者が単なるご意見番となることは避けねばなりません。そのため、これら会議は受身でしかない諮問機関としての役割に固定すべきではなく、もっと機動的な役割を持たせていくべきだと言えます。

一方、政策アドバイザーの候補として名前が挙げられた方々は、担当者として事務を担った実務者と言うより、プロデューサー的役割を果たすべきで、単なるアドバイザーとしてだけではその能力を発揮してもらえるとは思えません。

つまり、真に「産業活力創造」を目指すのであれば、会議を実働部隊の合議機関とし、そこにプロデューサーを入れることが体制としては相応しいと言えます。

しかしながら、答弁であったように、会議とアドバイザーの両立のために整理された役割では、双方のメリットを制限し、これを発揮できるものとは到底思えません。

また、市民協働についても同様で、双方のメリットを発揮できる体制とはいえません。

以上のことから、政策アドバイザーというより、むしろ必要なのは会議を機動的なものへと変えていくプロデューサーであると言え、これらの制度は双方のメリットを発揮できるものでないことがわかります。

 

最後に、市職員の給与のあり方に関する懇話会についてですが、

そもそも、設置の目的は「市民が納得のいく給与体系をつくる」ことにあると答弁がありました。

そうであるならば、ポイントは「市民が納得する」ということですが、そのための手段がこの懇話会であると考えていることが、笑止千万であると言えます。

まず、「納税者である市民が雇用している公務員が、自分たち民間企業に勤めている者などと比べて、優遇されている」という思いを市民が抱いていることが、市民に納得してもらえない原因であると、気づく必要があります。

なぜそういう思いを抱くのか、それは市民と接する機会が多い部署の一部の職員が様々な意味での「怠慢」である姿を目にしていることから始まっています。

その職員がクビにもならず、昇給もし、その身分が守られているとするならば、市民が「お手盛り」と感じるのは当然と言えます。

つまり、「高い税金を払っているのに、生活環境が良くなっていない」と言う思い、「技能労務職を含めた職員給与が高い状況を放置している」との思いに加え、職員の怠慢を目にしたという事実があいまって、市民が職員給与に納得していないと考えることができます。

このような市民にとってみれば、懇話会などと言うものは、都合よく法を盾に取ったアリバイ作りでしかないと考えるでしょう。

市民の納得が得られるのは、状況を改善すること、成果を上げることであって、理屈をこねることではありません。速やかに目に見える形で改善することのみが、納得を得られる唯一の手段といえます。

そういう意味から考えると、一手間余計にかけることで、速やかな改善を結果的に妨げること、地方公務員法の枠内での議論にとどまり、市民の納得が得られる本質部分とはかけ離れていることから、真に必要な事業とはいえません。

 

このように対策が必要な課題に対しては準備された策はなく、行き当たりばったりで行おうとする姿勢があり、本市の持続的な発展という目的達成にどうしても必要であるとは言えない事業に手をつけようとしています。

目的達成のために必要なのは周到な準備とサービスを下げずにその財源を生み出す工夫であります。

なぜ、学校給食の民間委託に着手しないのか、技能労務職の国や民間との格差是正に着手しないのか、他市に比べて高すぎる朝鮮学校の就学補助事業を改善しないのか、なぜ、職員給与を引き下げ、ボーナスにもっと差をつけないのか理解できません。

 

本当の意味で選択と集中が出来ていない市政運営を容認することは出来ません。

 

さて、来年度、トリプル周年を迎えます。宝塚歌劇100周年、市制60周年、手塚治虫記念館開館20周年ですが、これらを単なる式典に終わらせず、その後の発展につなげていく必要があると幾度となく答弁されてきました。

人に例えるなら、手塚治虫記念館は成人式を迎えるわけですから、いつまでも赤字を税金で賄う体質を変え、ひとり立ちさせなければなりません。

また、宝塚市は還暦を迎え、真っ赤なちゃんちゃんこを着て、お祝いをするというところです。本来であれば、真っ赤なちゃんちゃんこを送るというのは、生まれたときに帰ると言う風習から生まれたものですから、ここを節目と考え、市役所も目に見える形で変わる必要があります。

もし、いつまでも真っ赤なちゃんちゃんこを着たままで、生まれ変わろうとしないのであれば、我々は合わせるべき力をあわせて戦わねばなりません。

 

トリプル周年を迎えるにあたり、その後の発展へとつなげるためにも、節目を迎える市役所自体が変わることが必須であると指摘して、討論を終わります。